「まあまあ」
カウンターの向こうでスプリングフィールドが穏やかな笑みを浮かべる。
「WA2000さん、あんまり、そう悪口を言わないでおいてあげて下さい」
「私は事実を指摘しただけでしょうが!」
「そういう側面もありますけれども」
「どういう側面が他にあるっていうの!?」
「ほら、あんまり怒るとこぼれてしまいますよ?」
「怒ってない!」
WAはパンと手のひらで机をたたき注文をつけてから、大きく息を吸って、のそのそ元の席に腰を下ろす。
ここはカフェだ。時間はまだそれほど遅くない。当然、周りには他の人形たちもたくさんいる。
中にはカウンター越しに交わされるスプリングフィールドとWA2000の応酬をニヤニヤしながら眺めている奴らもいる。
悪趣味だ、と心の中で思ってみても、ネタを提供してしまっているのが自分なんだから仕方がない。WAは叫びたい気持ちをグッと飲み込んで手元のマグカップに視線を戻す。肌色の液面に反射した自分の表情が、少し赤みがかって見えるのは全部気のせい、あるいは全ての巨悪の元凶であるモシン・ナガンのせいだ。そうでなければ、少なくともWAの気持ちは収まらない。いや、そうでなければ他に何の原因があるというのか。あるわけもない――と考えるとやはりイライラが高まって文句の一つ二つもぶちまけたくなるのである。
事の起こりは先週半ばの話である。
一日の仕事と夕飯を終えてから宿舎に戻って着替えを済ませ、ちょっと横にでもなろうとベッドに腰掛けた拍子に下の階から声が聞こえた。
「ハァイ! WAを探してるんだけど、もう戻ってる?」
「WAさんなら上にいますよ」
「ありがとう、MP5!」
「ご案内しましょうか?」
「いいえ、大丈夫よ! 分かるから!」
会話の流れを聞きながら、WAは頭を抱えた。元気よく飛び込んできたほう、ノーテンキ極まりない軽々した声はモシン・ナガン、これからくつろごうというタイミングで一番聞きたくない相手のものだ。腕は確かだし大先輩として戦闘に関してだけは尊敬もしているけれど、奴が絡んでろくな目にあったことがない。疫病神と言うと少しニュアンスがズレてしまうような気もするが、WAにとっての天敵であることには間違いない。
そのモシン・ナガンがこうしてわざわざ自分を探しに来たという現実から、この先何か明るい未来が弾け広がっていくという妄想をできるほどWAのメンタルは都合良くできていない。
WAはとっさに隠れる場所を探した。けれどもここは宿舎の2階、寝起きするための部屋、全体を見渡したってクロゼットとベッド、ドレッサーとデスクくらいしか物がないのである。クロゼットの中は服でいっぱいだ。そもそも、あのクロゼットは薄くて省スペースなタイプだから中に入って隠れるなんてことはできそうにない。せいぜい頭隠して尻隠さずのオチになるのが精一杯だろう。
それに、下の階ではGr MP5がはっきり「上にいる」と返事をしてしまっている。モシン・ナガンは何度かこの部屋に来たことがあるし、今更隠れたところですぐに見つかってしまうことだろう。ふつう、まともなデリカシーがあれば主のいない部屋の中をひっくり返して主を探すなんて蛮行はできないだろうに、モシン・ナガンはそれができてしまう人非人なのである。
ちらっと視線が外に向く。レースのカーテン越しに夜空が見える。今日は一段と暗い。冬のせいか、それとも月が見えないからだろうか。いずれにしても、夜空の眺めに浸って現実逃避をしようなどと考えたのではない。もし、あの悪人から逃げるとしたら、もうあの窓から飛び降りる以外に手段はない。けれども、今WAは、すっかりくつろぐつもりで部屋着に着替え終わったばかりである。あとは少しゴロゴロしながら、今日の疲れを癒そうかなどと考えていた。こんな姿を他の人形に見られるくらいならモシン・ナガンと一緒に溶鉱炉へでも落ちてしまったほうがマシである。
トコトコと近づいてくる足音に大きなため息をこぼして、WAは仕方なく、枕元にかけてあったガウンを手にとって羽織った。
ノックの音に、気は乗らないながら返事をして、この招かれざる客の満面の笑顔をお迎えすることにしたのである。
モシン・ナガンがやってきた理由は、およそWAが予想していた通りのことだった。
つまり、しばらく別の地区へ出張しなくちゃならないから、彼の後輩であるSV-98の様子を見守っていて欲しいという件のやつである。
「私が嫌って言ったらどうなるの?」
「SVが悲しむわよ」
WAが形ばかりの抵抗を試みても、モシン・ナガンはさらりと流すだけだ。以前にもモシン・ナガンの頼みでSVの面倒を見てやったことがある。その時も同じようにモシン・ナガンに頼まれて、報酬のチョコアイスと引き換えに渋々SVの面倒を見てやったのだ。
けれども、WAに誤算があるとしたら、SVがその時の対応を相当気に入ったらしい。あれ以来、SVは何かあるとはWAのところにやってきて練習の指導をしてほしいと言ってくるようになったし、事あるごとにWAのことを持ち上げてくる。
悲しむと言われると、WAはなにか申し訳ないような気がしてくる。もちろん、SVのことが嫌いな訳などない。同じライフルの後輩として、同じグリフィンの仲間として、頼られれば嫌と拒む理由はない。教えてほしいと尋ねられれば応えない理由もない。SVが真面目で、真剣に話を聞いてくれるというところは素直に立派だと思うし、そうして慕って、頼ってくれる後輩がいて嫌な先輩など、いるはずもなかった。
かといって、何事も程度の問題という話である。あまりにベタベタと付きまとわれるのはうざったくて疲れるし、なにかといえばヨイショしてくるというのも恥ずかしくて疲れるのである。
そんな具合だから、正直言って今回の話を引き受けたものかどうか、WAは少し悩んだのだった。SVの相手をするのもなれてきたとは思うし、相手の性格もしっかり理解しているつもりではあるけれど、それだけで心労が全部吹き飛んでくれるならこれほど楽な話もない。
現実は、いつも理想の通りには進まないものだ。
だから、一応形だけでも、断ろうとしたのである。
あのやり取りから1週間がたつ。モシン・ナガンはウィンク一つを残して東の地区へ出掛けて行った。
それ以来、SVは毎日のようにニコニコしてWAのところへ来る。そして訓練の指導をしてほしいと頭を下げてくる。
もちろん、WAにも嫌はない。どうせ自分だって、作戦に呼ばれることがなければ訓練室に行ってメニューをこなすことになる。それだったら、誰かと一緒に行ってスコアを競ったり、自分では気づかないところを見てもらったほうが良い。
そんな思いでモシン・ナガンの頼みを引き受けた。SVと一緒に訓練をこなしてきた。
もしも条件が前回のときと同じだったら、たぶん、WAはこんなに苦労をしなかったことだろう。
一つだけ、予期せぬ誤算があったとすれば、SV以外にもうひとり、WAを目当てにやってきた新人がいたということだった。
「私にふたりも面倒見させるなんて……」
「WAさん?」
「SVだけでも疲れるっていうのに……」
「あら、でも他に頼れる方がいないんですよ、SV-98さんも」
「そんなわけないでしょうが! トカレフだってシモノフだっているじゃない!」
「まあまあ。適材適所ですよ」
WAが立ち上がっても、スプリングフィールドは表情を変えない。
その顔から微笑みがなくなることはまったくない。
WAは、カフェの隅から飛んでくる好奇の眼差しを感じてすごすごと席に戻る。
考えるだけでいらいらしてしまうのは、全部モシン・ナガンが悪いのだ。こんなタイミングでSVたちの世話を押し付けて、自分は何食わぬ顔で他所へ行ってしまったのだから。
もうひとりのほうだって、せめてSVほどの慎みがあればよかった。あるいは、SVと二人でもうまくやっていけるくらいの相性の良さがあれば、WAがこんなに苦労しないでも住んだはずなのだ。
WAは、ふと顔を上げた。
目が合ったスプリングフィールドが、少し首を傾げて先を促してくる。
「だいたい、なんで私のところに寄越したの?」
「ええ?」
WAがじとっと睨みつけても、スプリングフィールドはひょうひょうとしている。
素直にわからないとでも言い出しそうな表情で、きょとんと首を傾げているのである。
「M14を寄越したのはアンタでしょ、スプリングフィールド」
「まあ、そうなりますね」
「まあじゃないのよ、まあじゃ。自分で面倒見ればよかったじゃない」
「そういうわけにも……私とM14ちゃんでは、部隊も別ですから」
「はあ?」
「彼女はまだまだ経験が足りませんし」
「当たり前じゃない」
「ね。だから、指導経験も豊富なWAさんに担当してほしかったんです」
「……フン!」
スプリングフィールドにそう言われると、嬉しくなってしまうWAである。
スプリングフィールドのことは尊敬してもいる。大先輩というだけじゃない。その戦闘技術は確かな訓練と豊富な実戦経験に裏打ちされている。不確かな戦場で起こりうる状況をしっかりと予想して対策が打てる熟練の腕前、そしてなにか予期せぬ事態が起こっても慌てずに対処できる冷静さを兼ね備えたスプリングフィールドに褒められて、嬉しくならないわけがない。
WAが口をつぐんだので、スプリングフィールドは少し満足したようだった。ニッコリと満面の笑みを浮かべながら、穏やかな口調で付け加える。
「もし何かあったら、いつでも相談に乗りますよ、WAさん」
「……わかったわよ」
「ほんとうに、よろしくおねがいします。あなたのこと、心から頼りにしているんです」
「……フン」
鼻を鳴らしながら紅茶を飲む。
ともあれ、引き受けてしまった仕事を放り出せるほど、WAはいい性格をしていない。
モシン・ナガンが帰ってくるまで、あるいはM14が別の部隊に異動させられるまで、二人の面倒を見なくてはならないのである。
「よろしくお願いします!」
訓練室の入り口から元気な声が聞こえる。
その時、WAはSVと一緒に今日のメニューを確認していたところだった。
SVの表情にサッと暗い影が差す。
WAが振り返ると、向こうから、黒いリボンで髪を結い、元気なツーサイドアップを揺らしてご機嫌に、自信満々に胸を張りながらひょこひょこと歩いてくる、もうひとりの新入りと目があった。
テクテクと近づいてきたM14は、すぐそこまで来て立ち止まると、名乗ったときと同じように元気な声を張り上げた。
「おはようございます! WAさん!」
「あー……おはよう、M14」
「今日も一日、よろしくお願いします!」
「……朝から元気ね……」
「はい!」
M14は力強くうなずく。キラキラと輝かせた目でキョロキョロと周りを見回し、タブレットに近づいて今日のメニューを確認し始めた。
WAは、気をつけなければすぐにでもしぼんで無くなってしまいそうな気力を奮い立たせて二人の間を行き来し、訓練の組み立てを確認してやりながら様子を見守る。
トレーニングルームにはありとあらゆる訓練のための装置や装備が並べられている。実弾を使った射撃演習から始まってVRを利用したものもあるし、一人でコツコツとクリアするタイプの設定にもネットワークに接続した合同演習にも設定ができる。
今二人が取り組んでいるVRの装置一つをとっても、ニーズに合わせて無数の設定が提供されている。人形の特性に合わせて、遠距離から近距離、平野から市街地など様々なシチュエーションに応じた訓練ができ、今自分がやりたい、必要とする調整がいつでもできるようになっていた。
WAは二人の後ろの椅子に腰を下ろし、モニターに表示される結果をじっと見つめていた。
SVはここ数日、ずっと800メートル前後の遠距離にある目標を隠れて狙撃する訓練に精を出している。これは本人が言ってきたことでもある。
もともと、SVにはこの仕事への適性がある。真面目で勤勉な勉強家であり、コツコツと細かな準備を行き届かせ、大量の計算を難なくこなし、計画通りに手堅く行動して狙った目標をしっかり仕留めるということに関しては、ともすればWAですらびっくりしてしまうほど熱心にやり遂げるようなところがSVにはある。
もちろん、こうした特性を長所として捉えれば真面目で熱心な勉強家ということになるけれど、裏を返すと熱中しすぎて周りが見えなくなることがあったり、ちょっとでも予想外のことが起こると慌ててしまってバランスを崩してしまう繊細なところがあったりもする。
そんな長所と短所が表裏一体のSVが、ここ数日、若干成績を落としている。
今日の結果も先週のデータに比べると若干見劣りする。命中率は10ポイントくらい低いし、当たった場所や与えた傷害の程度を見ても、良い時のSVには及ぶべくもない。
WAはこっそりと溜息を零して画面を切り替える。パッと表示されるのはM14のデータだ。
M14が今こなしているのは、およそ460メートル以下の中距離にある目標を次々に倒していく訓練だ。丘陵地帯や森林といったあまり視野の良くない空間で、左右から続々表れる目標を発見し、それを一つ一つ狙って移動し、移動しては狙うメニューである。
SVと違って、まだ着任してから日の浅いM14は、自分で立てて選んだメニューの他に一定のルーチーンで複数のメニューをこなしている。よくあるパターンを一通り経験しておこうという教育上の配慮なのだが、その結果を見るとシチュエーションごとに天地ほども開きがあるのでWAは全く納得がいかない。
1セッションが終わってVRのゴーグルを外したM14がくるりと振り返ってキラキラした眼差しを向けてくる。
WAは一つ咳払いをしてジロッと睨みつけ、なるべく気持ちを抑えた声で呼びかける。
「今回は良いじゃない、M14」
「えっへへ! ありがとうございます、WAさん! こういうの得意なんですよ!」
「そうね。前回よりも反応時間が短くなってる。もう良いんじゃない、これは」
「ありがとうございます! 今日はどんどんやっちゃいますね!」
「……違うでしょ、M14」
「ええっ?」
満面の笑顔のまま、もう一度ゴーグルを装着しようとするので呆れて呼び止める。M14はキョトンと目を丸くしている。
WAは思わず頭を抱えてしまった。どうも、M14にはこういう話の通じないところがある。平たく言えば気分屋だ。
「WAさん、どうかしましたか?」
「どうじゃないでしょ、どうじゃ! アンタ、話聞いてなかったわけ?」
「え? 何の話ですか?」
「だから、もうこのメニューは良いって言ってるの! それよりもう少し遠い、狙撃のほうをやりなさいよ! アンタ、苦手でしょ!」
「え……昨日やったじゃないですかあ」
「何度でもやるのよ! 訓練は反復しないと意味がないでしょうが!」
「でも、明日またやるんですよね?」
「何度でもやるのよ! アンタ、ヘタックソなんだから!」
「ええ……」
M14はムッとしたように頬を膨らませる。
どうもM14には、そういう子供っぽいというのか幼いというのか、自分の気分を優先してしまうところがある。WAはそれが気に食わない。
得意不得意があるのは構わない。構わないというか仕方がないことでもある。あれこれ文句を言う自分自身にだって、得意なこともあれば苦手なこともある。たとえば、SVのように遠距離から相手を狙うのは得意だと自負しているけれど、MP5のように前に出て相手の攻撃を引き付けながら味方が攻撃しやすいようなチャンスを作るなんていうのは苦手だ。あるいは、中距離や近距離の目標を次々に見つけ出して打ち倒すのだって、やってできなくはないけれども好んでやりたいかと聞かれればそれほどでもない。むしろ、そんなことはGr G36とかGr MG3あたりに任せてしまいたいと思うような時がないわけじゃない。
けれども、実際に敵と遭遇して戦闘をこなすとなれば、好きだの嫌いだのといって選り好みしている余裕なんて無い。突然目の前に敵が飛び出してきたら片付ける以外に選択肢はない。嫌だからといって通り過ぎようとしたってそんなことが許されるはずもなく、ただ良い的になってしまうだけのことだ。苦手だからといって訓練もしないで放置してしまって、いざその場面に出くわしてやっぱりうまくいきませんでした、なんていう甘いことがまかり通るような世界ではない。
WAはカチンときて立ち上がり、ノソノソとM14のところまで近づいた。向こうはただじいっとこちらを見ているだけだった。
「アンタねえ! そんなワガママが通るわけ無いでしょうが!」
「どうしてですか?」
「どうしても何もないでしょ! 好きなことだけやってられたら苦労なんてないわよ! 嫌いなことでも最低限できなきゃいけないラインってものがあるの!」
「でも、どうせそんな任務回ってきませんよ!」
「はあ? 何様よ! アンタが決めることじゃないの! それは!」
「でも得意なほうに任せるに決まってるじゃないですか」
「屁理屈こねてないでやんなさい!」
「ええ……」
一々突っかかるような言い方をされると腹が立つ。WAはM14の横に立って叱りつけたが、M14はあれこれと屁理屈を捏ねてやらないですませようとする。
もちろん人形には得手不得手がある。万能な人形なんていない。指揮官だってそのことは知っているし、だからこうして積み重なった訓練のデータは全部幕僚のところに送られていて、それを見ながら今度の作戦では誰を使おうとか、どこに配置しようということを決めるのだ。
WAにしたってそれくらいの事情は理解している。実際、WAを前衛に配置しようなどというおかしな話はこれまでに聞かされたことがない。前に配置されるのはいつだってそれにふさわしい人形で、WAはそこに選ばれたことなんてない。けれども、だからといってプライドを傷つけられたり、悲しくなったりしたことはない。
なぜなら、WAは自分がそういう存在だと思っているからだ。後方に配置されて、前の人形が作ってくれた隙を利用して大きなダメージを与えるのが自分の役割だと思っているからだ。そして、そのことに喜びを感じるし、そこで活躍することに誇りを感じる。そのために日々の訓練や調整を続けているのだから、いきなり前に出てほしいなどと言われたら、それこそ逆に腹が立つ。
けれども、それとこれとは話が違う。まして、M14は自分と同じ、後ろから前線の敵を倒す側の存在だ。
もちろん、SVやモシン・ナガンとは違って、M14はより近い相手をより素早く狙い、より多く倒すことができる特性を持っている。それに加えて、大雑把とはいわないにせよ、細かな作業をちまちまとこなして、寸分の狂いもなく精密に撃ち抜くというような作業は苦手な性格をしている。それより、多少狙いは狂っても、より多く撃ってより多く倒すことのほうが似合ってはいると思う。
ただし、それでも最低限できてくれないといけないラインがある。それが嫌だからと逃げ回っていては困るのだ。
WAはそのことをなんとかわからせようとあれこれ説教をするのだが、M14はどうも聞く耳を持たない。二言目には「どうせ」、その次には「いいじゃないですか」などと言い出すのだから手に負えないし、イライラする。
イライラすると声が大きくなる。だんだんボルテージが上がってしまう。1歩2歩更に近づき、いっそのこと胸ぐらをつかんでどやしつけてやろうかという距離に入った時、横から手が伸びてきて抱きとめられてしまった。
「やめて下さい、WAさん!」
「SV! 離しなさい!」
「離しません! 皆さんも見てるんですっ!」
「私はコイツと話をしてるの! アンタは関係ないでしょうが!」
「関係あります……! 隣でそんなに怒鳴られてたら集中できません……!」
「誰が怒鳴ってるのよ!」
「WAさんですよぅ……」
SVの声が涙がかる。顔だけ振り向くと、その両方の瞳の端に少しだけ潤むものが見えなくはない。
グッと喉を鳴らして黙り込む。SVの後ろ、トレーニングルームの入り口がそろそろと開いて、MP5がおずおず様子を覗き込んでくるのも見える。
冷静さを取り戻すにつれ、同じ部屋の到るところから飛んでくる視線を感じる。
いくらいろいろな装置があって、広いとはいっても一つの部屋だ。WAのしゃべっていたことなど皆聞こえているだろう。ドアを閉じたって完全な防音になっているわけじゃない。漏れ聞こえているものもあるだろうし、これ以上M14に向かっていたらもっと筒抜けになってしまう。
WAはしばらく顔色を赤青と入れ替えてから、渋々振り上げていた拳を下ろした。
M14は、まだ少しふてくされたような表情を浮かべている。
SVは、まだ泣き出しそうな表情をしている。
ここしばらく、毎日のようにこんな光景が繰り広げられているのである。
「それでそんなにげっそりしてるんですか」
一通り話を終えると、向かいの席に座ったカリーナが納得したような表情で一つうなずいた。
WAはゆらゆらと手を振って返事に代え、机に突っ伏して腕に顔を埋めた。
いっそのこと全部何から何まで放り出してしまえたら少しは気分もスッキリするのかもしれない。誰でも良いけれど、誰か適当にそこら辺を歩いている人形を捕まえてM14とSVを押し付けてしまい、自分はさっさと一人で自分自身のことに専念してしまえたらどれほど楽なことだろう。
けれども、WAには、それはできなかった。
モシン・ナガンやスプリングフィールドに頼まれたということもあるし、何より一旦引き受けてここまでやってきた仕事を、中途半端なまま放り出してしまうような無責任なことは絶対にしたくなかった。
コトンと軽い音がする。少しだけ顔をあげると、目の前にホカホカと湯気を立てる白いマグカップが置かれている。置き主のカリーナは、にこっと微笑んでこちらを見守っていた。
「まあまあ、WAさん。これでも飲んで落ち着いて下さいね」
「何よ……これ……」
「紅茶ですよ。淹れたてです! クリームもお砂糖もたくさんありますから、好きなだけ入れてくださいね!」
「……ありがと」
小さな声でお礼を言いながら、ゆっくりと背筋を立てる。
今、WAはデータルームでカリーナを相手に話をしていた。話題はここ数日溜まりに溜まっている心労の原因についてだ。カリーナは行儀よく最後まで話を聞いてくれた。そのうえ温かい紅茶まで入れてくれた。たとえそれがカフェでスプリングフィールドが入れてくれる紅茶に比べれば、インスタントの雑味が抜けないチープなお茶で、スキムミルクが主体のあまり旨味を感じないクリームであるとしても、こうして慰めてくれるカリーナの優しさと一緒だと世界で一番美味しいお茶なんじゃないかと思われて涙が溢れそうになる。
WAはチビチビお茶を飲んでからフッと浅いため息をこぼす。
データルームには、今はカリーナとWAの二人しかいない。いや、もともとWAだって好き好んでこの薄暗い部屋に来たわけじゃない。最初はカフェに行こうとしたのだ。
今日の訓練は、一応矛を収めて引き下がった。SVのことだけじゃなく、あそこまで衆人の耳目を集めてしまっては、またどんな噂になるかわかったものじゃない。以前SVの面倒を初めて見たやったとき、SVを泣かせてしまってひどい目にあった記憶が生々しい。
それだから、つまらなさそうにしているM14には好きなようにさせておいて、記録を取るだけ取って報告書を指揮官に押し付けてきてから、SVたちと別れて部屋に戻り、シャワーを浴びてご飯を食べたのだ。
とはいえ、やっぱり胸のうちにむらむらと沸き起こるやりきれなさまで洗い流せるわけじゃない。むしろ自分を抑えて飲み込んだ分、かえってイライラが高まってしまう。
このまま見て見ぬふりをして蓋をしてみても、どうせ明日になればまた二人と顔を合わせて同じ場所で同じようなやり取りをするだけの話だった。これではストレスがどんどん溜まっていってしまうし、そのうち破裂して抑えきれなくならないとも限らない。
だから、ちょっとカフェに足を運んで、自分にこんな困難を押し付ける原因の片割れでもあるスプリングフィールド相手に文句の一つでもつけながら、少しガス抜きをしようかなどと思っていたのである。
ところが、宵の口にカフェに行き、ドアを開けようとしたところで中にM14がいるのを見つけてしまったのだからいただけない。M14は昼間の騒動などどこかへ置いてきたような楽しそうで嬉しそうな満面の笑みを浮かべてケーキを食べながら、スプリングフィールドと何か言葉を交わしていたのである。
もともとスプリングフィールドからしたらM14は妹みたいな存在だ。M14の方でも、たまにスプリングフィールドをお姉ちゃんと呼んでいたりする。そんな親しい二人だから、きっと今日の訓練の話でもしながら、ご褒美のスイーツをつついて和気あいあいと楽しい時間を過ごしているのだろう。それくらいのことはWAにもすぐ想像がつくことだった。
それ自体は好きにすればいい。訓練が終わればあとはプライベートな時間なんだから、それをどう過ごそうがWAには関係のないことだ。M14が大好きなスプリングフィールドお姉ちゃんのところに来ているのだって一向に構わないし、それでワイワイと楽しい時間を過ごして、リフレッシュして明日の訓練に来てくれるなら全く問題ない。むしろ、一人形として、そうしてしっかりスイッチのオンオフを入れ替えて取り組んでくれるなら、なにも文句を言う筋合いはないと思っている。
けれども、当のM14がそうしてカフェでおしゃべりをしている横で、あれこれと愚痴をこぼすなんていう勇気はWAにはない。そんなことをしたらせっかくの楽しい時間を台無しにしてしまうだろうし、なによりWA自身にとってもストレスの発散などになるわけもない。
幸い、WAはドアを開けてしまう前にM14がいることに気づいたから、慌てて踵を返し、そのまま何食わぬ顔で廊下を下ってきた。
一旦は部屋に引き返そうかとも思ったけれど、このやりきれない気持ちをモンモンと抱えたままというわけにはいかなかった。かえって、発散するつもりで行った宛が外れてしまったものだから、イライラが大きくなってしまったような気がした。
これでは到底やりきれない。やりきれないけれど行先がない。
まさか後輩のぐちをこぼすのにMP5のところへ行くわけにも行かない。G36のところへいったら適当にあしらわれてコーヒーでも飲まされるだけのことだろう。SVのところなぞへ行ったらどんな悲劇が待っているかわからない。いろいろな候補を挙げては消し、消しては思いつき、うろうろと部屋の前を行ったり来たり、落ち着かなくしていたところにたまたまカリーナが通りかかり、それでここへ連れ込まれたというのが今日の出来事なのだ。
「WAさんがあんなふうにしてるの、珍しいなと思って見てたんですよ」
「……いつから?」
「さあ。5分くらいだと思いますけれども」
「どうしてすぐ声かけてくれなかったの……」
「え。だって何か考え事でもしていたら悪いなあと」
「……考え事といえばそうだけど」
「ね。ですからちょっと様子を見てたんですけれど、昼間のこともありましたからねえ」
カリーナは自分の分のコーヒーを一口飲みながら、苦笑いを浮かべている。
「……ねえ、カリーナ?」
「なんですか、WAさん?」
「……カリーナは、どこまで聞いてるの?」
「どこまで?」
「昼間のこと」
「ああ、まあ、人伝ですけどね。一通りは聞いてると思いますよ?」
「そう……」
「あとは、皆さんのデータも一応私のところにも回ってきますし」
そう言いながら、カリーナは、使い慣れた自分のタブレットを引き寄せてパタパタといじり始める。
「M14さんのも、SVさんのも一応目は通してますよ」
「……じゃあ、率直に聞くけど、どう思う?」
「どう?」
「M14のこと」
「ええ? それ、私に聞きます?」
「他に誰がいるっていうのよ……」
「指揮官様に聞きに行かれたらいいじゃないですか」
「はあ?」
「だって、編成を考えたり部隊に指示を出すのは私じゃありませんし」
「でも……」
「私だって皆さんのデータは見ますけど、良し悪しはわからないですよ」
「ええ……」
「だから、指揮官様に直接聞きに行けばいいじゃないですか」
「絶対イヤよ……告げ口でもしたかと思われるじゃない」
「誰にですか?」
「……あの、二人に……」
「ええ? そうですか?」
「絶対そうでしょ……」
「ううーん?」
カリーナは納得出来ないように首を傾げる。WAは組んだ腕に顎を乗せてじろっと睨みつける。
できれば指揮官には関わり合いになりたくない。もちろんあの二人の成績に対する評価は、指揮官が下すものだ。あの二人とこれからどうやって付き合っていくべきかを相談するというのも、あるいは悪い提案じゃないかもしれない。万一これ以上二人との中をこじらせてケンカをするくらいなら、端から指揮官と話をつけておくというのは一つの手段でもある。もしかしたらWAよりもっと相性の良い人形がいるかも知れないし、それならそっちの部隊に移してもらうというのも正解のひとつなのかもしれない。
けれども、もしWAがそう相談して実際に配置換えにでもなったら、M14はどう思うだろう。あるいは、SVはどう思うだろう?
三人のやり取りを知っている、あの時あの場所に居合わせた人形たちはもちろん、WAのことを信頼してSVを預けに来たモシン・ナガンや、M14の担当に推薦してくれたスプリングフィールドはどう思うだろう?
そう考えると、指揮官のところに行くというのは、何かみんなに対して申し訳ないような気がしてくるWAである。
ただ申し訳ないというばかりじゃない。任された仕事を放り出してしまうことにもなる。そんな自分自身に対しても示しがつかないと思うのだ。
「まあ、WAさんがそう言うなら」
「カリーナ?」
「私には射撃のことですとか、そういうのはそこまでよくわかりませんけれどもね」
「うん……」
「ただ、M14さんはM14さんなりに努力しているとは思いますよ」
「うん?」
「苦手な訓練でも、いろいろ試行錯誤はしてるみたいじゃないですか?」
「ええ」
「立ち位置を変えてみたり、他の人形の皆さんのマネをしてみたりとか」
「それは知ってるわよ」
「WAさん?」
「アイツ、私がしたアドバイスも試してはくれるもの。ちょっとやったらまたすぐコロコロ変えてしまうけれども」
「そうなんですか?」
「そうよ、そう。狙いの付け方とか、目標の見つけ方とか、あれこれ試して、うまくいかないとすぐ飽きちゃうの、アイツは!」
「M14さんですか?」
「そうよ! だから何か一つ真面目にやり遂げるっていうことをしないわけ! そんなんじゃいくらも上達しないっていうのに……!」
「あはは」
「カリーナ!」
「ご、ごめんなさい、つい……」
カリーナが突然笑い出したので、WAは立ち上がって抗議した。今、自分は真剣な話をしているのだ。いや、真剣と行っても息が詰まるように緊張感のある話というわけじゃない。ただ、真面目にM14をどうしたらいいか、自分がM14とどう付き合っていったらいいかを相談しているはずだ。
それを急に笑いだしてケタケタしているなぞというのは心外だ。
カリーナは口元を抑えて笑いを飲み込むと、涙を拭いながら身を乗り出した。
「まあまあ、WAさん。座って下さいよ」
「アンタが急に笑うからいけないんじゃない!」
「それはすみません。ごめんなさい、謝ります」
「アンタねえ……」
「ただ、WAさん、大丈夫ですよ! きっとうまくいきますって!」
「はあ?」
カリーナは明るく言う。言う内容は励ましにしては無責任に聞こえる。WAがじっと見つめても、明るくにこやかな表情を崩さない。
「大丈夫ですって! M14さんだって、悪気があるわけでもないですし」
「だから困ってるんでしょうが!」
「どうどう、落ち着いてくださいよ」
「私は落ち着いてるでしょ!」
「まあ、まあ」
カリーナに両手で制され、WAはすごすご元の椅子に戻る。
なにもこんなところでまで腹を立てにきたつもりはない。むしろ、立って仕方がない腹を落ち着かせるために来たのだ。
「WAさん、もう1杯飲みます?」
「……ちょうだい」
「はいはーい! クリームとシュガーは同じでいいですか?」
「……うん」
黙ってうなずくと、カリーナはマグカップを手にサッと立ち上がり、奥のキッチンに行ってなにか作業をしながら、落ち着いた声で話しかけてくる。
「WAさんって、すっごく真面目で、とっても良い方ですよね」
「……突然、何?」
「いえいえ、他意はありませんよ! 素直に素敵だなあって」
「……褒めても何も出ないわよ」
「良いんですよ! そこにいてくれれば」
「……はあ?」
ニッコリ笑うカリーナの表情はどこまでも優しい。
WAがじとっと睨めつけても、温かい微笑みを崩さず静かに先を続けてくる。
「WAさんのそういうところ、私はすっごく好きですよ?」
「……や、やめてよ、気味が悪い」
「ひどいじゃないですか~ 私とあなたの仲なのに~」
「ああ、はいはい」
「あはは。でも、本当に、WAさんみたいな先輩がいてくれたらなって思いますもの」
「どういうこと?」
「そのままですよ」
トコトコと歩いて戻ってきたカリーナが、新しいお茶を渡してくる。
それを受け取って冷ましながら口に含む。味も香りも変わらない。安心させてくれる美味しいお茶だ。
「WAさん、きっとM14さんにも、きちんと伝わりますよ。その気持ち」
「……はあ?」
「そうやって真剣に伝えよう、話をしようと思っていれば、きっと伝わりますからね」
「……そうだったらいいけれど」
「もちろん! 伝わらないなんてことはありませんよ!」
「はあ……」
「SVさんのときだってそうだったじゃないですか」
カリーナの表情に少しだけいたずらっぽい光が宿る。
WAはゴクッと喉を鳴らしてお茶を飲んだ。
そのせいで、少しだけむせてしまう。
「ああ、WAさん! すみません!」
「う……ゲホゲホッ……い、いいでしょ! もう! あの時のことは!」
「あ、もしかして、照れてます?」
「照れてない!」
「あはは、そうですね。じゃ、そういうことにしておきます」
「んん……もう!」
どうもカリーナと話をしていると向こうのペースに飲まれてしまう。からかわれてムッと来ても、結局くるっと丸め込まれてしまうような気がする。
いや、カリーナだけじゃない。モシン・ナガンやスプリングフィールドと話しているときだって同じだ。WAは、そもそもこういうコミュニケーションがそれほど得意じゃない。話術で相手を丸め込んだり、世間話を何時間もしたりするようなことは苦手だ。
それでも、カリーナたちと話していてくるっと丸め込まれてしまった時、そのせいでイライラしないのは、やっぱり相手が上手なのだからだと思う。話の仕方とか、慰めてくれ方とか、そういうものを全部含めて上手だからこそ、こうして話をしていたいとか、話を聞いてもらいたいとか、そう思うのだろう。
SVは、そうしたカリーナやモシン・ナガンと比べると、話し上手な方では無かった。無口というわけじゃない。話をすれば乗ってくれる。
けれども、冗談を飛ばして笑い合ったり、からかい合って遊んだりするタイプではなかった。WAと似ていて、真面目、正直、勤勉で、裏を返せばちょっと融通がきかないこともある。そんなSVを前にして、最初の頃はずいぶん腹も立てたし、ついつい声を荒げてしまったこともある。うまく意思疎通が図れなくて、叱りつけて泣かせてしまったこともある。
それでも、二人で時間を共有し、お互いが大切にしているものを認め合い、信じて背中を預け合い、そうしてわかりあえたからこそ、今もこうして慕われ頼られる関係ができているのだ。
カリーナが言いたいのは、たぶんそういうことなんだろう。M14と出会ってから、共にした時間はまだそれほど長くない。
これから根気よく付き合い、時間を重ねていく中で、きっとわかり合い、伝わるものがあるのだと言いたいのだろう。
WAは黙ってお茶を飲んだ。その後は静かに、明日のことや明後日のことを話し、お茶を飲み干して別れた。
カリーナは、少し楽天的すぎるところがあるかもしれない。
それでも、そのお気楽さに助けられ、励まされる部分がないわけじゃない。
面と向かって言ったらきっと調子に乗るから言えない。ただ、データルームを去る時、WAは心の中でそっと感謝を述べておくことにしたのだった。
翌日、昼前、トレーニングルームでの出来事だった。
今日は、たまたま結構な数の人形が集まっていたので、舞台を組んで合同訓練をやることになった。
G36が音頭を取って編成を考え、それぞれの配置につく。
M14はSVとは別の部隊に編成されていた。WAはその編成表を見て、おそらく次の作戦が来て二人が参加する時、この成績のままで行ったらこうなるだろうと思った。
SVは前線から少し離れた後方に、WAと一緒に配置されている、M14はより前線に近いところだ。基本的な流れとしては、MP5やG36たちの所属する前衛部隊が前に出て敵の出足をくじき、そこへM14たちの中堅部隊がはさみうちにしてケリをつける、あるいは漏れた敵を始末する。SVとWAたちは後方から、前衛・中堅の両部隊を援護しつつ敵を弱め、掃討にも助力する。
大雑把にまとめるとそういうことになる。
WAはSV、PPKたちと一つの場所に固まって敵の位置や動きを確認しながら、着実に標的を仕留めていた。
「あら、WA?」
「……PPK、なによ」
「今日はどうしたの? 眠いなら後ろで寝ていたら?」
「……違うわよ」
「あたくしが眠らせてあげてもいいわよ?」
「……わかりにくい冗談は嫌いよ」
「あら、そう?」
「……他の人形もいるんだから……」
クスクスと妖艶に笑うPPKの向こうで、SVが若干引きつった表情を浮かべている。WAはげんなりとした重たいため息をこぼして、また前線に視線を戻した。
WAとPPKとは長い付き合いになる。何度か一緒の部隊で戦ってきたこともあるし、お互いの性格もよく把握している。
だから、WAがこういう丁々発止のやり取りを得意としていないのを、PPKはよく知っているはずだ。それでもあれこれと、からかっているんだか真面目なんだかわからない言葉を投げかけてくる。そしてWAがぎこちない反応を返すのを眺めてはクスクス笑っているのだ。
WAもそういうPPKの性格はよくわかっている。もちろん、からかわれて笑われるのはあまり気持ちが良いことではないし、いじられているのだって好きじゃない。あまりにひどければ腹も立てるし、怒ることだってある。
ただ、PPKを相手にすると怒るところまでは行かないのがいつものことだった。そもそもPPKはあまり他の人形にベタベタ絡んでいくわけじゃない。何人かの顔なじみ、何度も付き合いがあって親しい相手にしか、こういう面倒くさい絡み方をしてこない。
それに、PPKは相手のことをあれこれといじっている時間よりも、ずっと自分のことを話している時間のほうが長かった。そういう時は適当に相槌を打っておけばいつまででも喋っている。一通り喋って満足するとどこかへ行ってしまう。
そういう、何か掴みどころのない不思議なPPKの相手をしているのは、たとえばのべつ幕なしにしゃべりかけてくるモシン・ナガンなどと比べるとずっと気が楽だった。
そして、PPKも、いざというときには間違いなく役に立つ、腕の立つ人形の一つなのだ。
「ねえ、WA?」
「……なによ」
「あなた、最近ずっとそんな顔をしているのよ」
「……どんな顔よ」
「わからない?」
ゆっくりと噛んで含めるように言いながら、PPKがのそりと近づいてくる。大きく見開かれた金色の瞳が、じっとこちらを見つめてくる。
WAが思わず目をそらすと、伸びてきたその腕に首を抱かれる。ザラッとした肌触りのグローブに頬を撫でられると背筋がゾクッとわななく。そのまま、為す術もなく向きを変えられて、また元のようにじっと目を見つめられる。
正面から射すくめられて、WAは固唾をのんだ。PPKの表情は、もう笑っていない。
「ねえ……WA?」
「な……なに?」
「疲れきった表情ばかりして……せっかくの美貌が台無しよ?」
「……いいでしょ、別に」
「いいえ……似合わないわ、あなたには」
「…………色々あったの」
「あったの?」
「……PPK?」
「あるのじゃなくって?」
WAは息を止めて見つめた。
PPKは、それ切り何も言わずにじいっと見据えてくる。
何を言おうが言わまいが、その鋭い視線の前では全く筒抜けになってしまうような気がした。たとえ適当なことを言ってここを切り抜けようとしたところで、すぐに感づかれてしまうだろう。追及の手を止めさせることはできないだろう。
PPKは、もう笑っていない。
さっきまで浮かべていたような趣味の悪い薄ら笑いもない。声音にもそういう軽々しいところはなかった。WAの表情を見て、そこにきっと色濃く現れているのだろう心労を見て取って、その裏にある心労の源泉から何かを汲み取ろうとしているのだろう。
PPKの表情の真剣さが、その心をよく物語っている。WAがPPKを信頼しているように、向こうもこちらのことを真剣に考えてくれているのだ。お互いに背中を預け合う仲、相方になにか問題があれば自分にも影響が出る。全てが悪い方向に進んでいったら、どんな結末が訪れるかもわからない。最悪の事態が起きたら、次にはベッドの上、新しい身体で目を覚ますことになるかもしれない。
WAは小さく溜息を零した。チラッと前を見る。前線では、物事は順調に進んでいるようだった。時々通信機から聞こえるやり取りからも、そのことは伺えた。
G36の冷静な指示、MG3の勇ましい笑い声、MP5の元気な返事――その中には、もちろんM14のものも混じっている。天真らんまんに大胆な笑顔を浮かべる、その表情が手に取るようにありありと思い浮かぶ。
ゆっくり振り返ると、PPKはまだこちらを見ている。けれども、その目元には少しだけ、小さな微笑みがふんわりと、誰にというわけでもなくささやくように浮かんでいた。
「ねえ……PPK?」
「ええ、WA?」
「その……今はまだうまくいえないの」
「ええ」
「まだ何もケリがついてないし、何もできてないし、何も変わってないから」
「そう」
PPKが少し顔を傾ける。WAはうつむき、手元を見つめた。
「だから、PPK、今は、まだ落ち着かないだけ」
「そう」
PPKは穏やかな声でうなずいた。
前を見て、何か思案深げな面持ちで言葉を途切らせる。
しばらく、こんな瞬間には似合わない、穏やかな時間が流れた。お互いに何も言うべき言葉を持たなかった。WAはまだ迷っているし、PPKにそれを伝えられない。伝えようとしても、うまく言葉にならない。もしこれが言葉にできるなら、あるいはどうしたらいいかを相談することだってできたのかもしれないけれど、そんな言葉がすんなり出てくるくらいなら、たぶんWAはこんなに悩んでなどいなかっただろう。
こちらがそんな具合だから、PPKも何も言わずに黙っている。何も言えずに、じっと前を向いている。けれども、その何も言わない穏やかな時間の中に、静かな、そして確かな励ましが混ざっているような気がする。
少なくとも、WAにはそう思えたし、そう思えるような穏やかな気色が、PPKの横顔には浮かんでいるような気がした。
「ねえ、WA?」
「……なに?」
「あなたには……笑顔も似合わないわね」
「……はあ?」
唐突な返事に目を丸くしていると、PPKは口元を抑えてクスクスと笑った。
「いいわ、その表情。突然昼寝から起こされた猫みたい。あたくしは好きよ」
「は……っ?」
「さあWA、目が覚めたなら、前を向きなさい。10時の方向よ」
PPKはニヤニヤした笑みを浮かべたまま、普段と変わらない口調で前を指差す。WAはムッとしたけれど、なにか言い返そうとしたって無理なことだ。どうせあれこれともてあそばれておもちゃにされるのがオチだろう。
黙ってスコープを覗き込み、PPKに言われる標的を探し出す。
ともあれ、今この場であれこれと悩んでいても仕方がない。そんなことに費やす時間はないし、ここで一人、あれこれと悩み考えていたって解決するわけでもない。
視界の向こうであちらこちらへ位置を変える敵や味方を探しながら、ついついこぼれそうになるため息を、そっと胸のうちに飲み込んだのだった。
演習が一通り済んでからのことだ。参加した人形が集まって、結果を見ながら反省会のようなことをやっていたときに、WAはちょっとトラブルを起こしてしまった。
皆が見ている横で、M14と口論になり、G36たちの制止を振り切って思わず突き飛ばしてしまった。
もちろん、M14が張り切って演習に望んで、そのとおり十分な、あるいは十二分に過ぎる成果を上げたこともわかっていたし、それを自慢したくなる気持ちもわかる。けれども、だからといって言ってはいけないこと、言ってほしくないことは確かにあった。
演習の結果自体は大成功といって差し支えない。初めて一緒に演習をこなすメンツもいたけれど、G36の指示は的確で意思疎通にも問題はなかった。突発的な問題が起こることもなく、全ては無事に完了した。
そのなかで、一番良い成績を残したのはM14だった。
G36からねぎらいとお褒めの言葉を頂戴して、M14は得意になっているようだった。いつも元気なやつだけれど、いつも以上に元気な声ではつらつとお礼を言い、満面の笑みを浮かべていた。
「ただ、次はもう少し抑えたほうが良いわ。あまり前に出ると危ないから」
「はい、わかりました! G36さん!」
「返事は満点ね。気をつけなさい」
「わかってますって!」
「ええ、わかってもらえれば良いわ。それからMP5――」
G36の総括は簡単なものだった。それから、どこが良かったけれどどこがダメだった、という寸評をはきはき伝えて終わり、データを一人一人に渡して解散になる。
WAは自分のデータを見て、SVとM14のデータを見た。今日、自分たちにはあまり沢山の目標を仕留める機会がなかった。前衛の動きが良かったことと、部隊の配置がピタリとかみ合っていたことが大きい。
SVの命中率はとても高かった。昨日一昨日にやっていた訓練と違って、横でWAがぎゃあぎゃあ騒いでいなかったからかもしれない。そう考えるとちょっと申し訳無さも感じないではない。
M14の方も、本人が得意だという通り、そしてこれまでの訓練でやってのけた通りに優秀な成績を叩き出していた。命中はもちろん、当て方も上手い。与えた傷害の総量は僅差ではあったけれどもMG3をかわしてトップに躍り出た。
それは十分にすごいことだ。幸運だけでこんなことになるはずがない。他の人形たちがたくさんいる中で、トップの成績を上げるというのはフロックだけでは無理なことだ。ビッグマウスだけじゃなく、きちんとした実力があるからこそたどり着ける一等賞だった。
「WAさん!」
「ああ……M14、お疲れ様」
「お疲れ様です! どうですか、今日の成績!」
「ええ……良いんじゃない。おめでと」
「でしょう! 私が本気を出せば、これくらい朝飯前ですよ!」
「ええ……ただ、さっきG36も言ってたけれど、ちゃんと周りも見ること」
「はいはい、わかってますってば!」
「本当に? 今回は何もなかったから良かったけれど……前に出るだけが戦術じゃないんだからね」
「もういいじゃないですか~」
M14はちょっと不満そうにくちびるを尖らせる。
大方、もっと褒めてもられると思っていたに違いない。そうだとしたら、少しだけ申し訳ないとWAも思う。もともと、自分はあまり人を褒めるのが得意な人形じゃない。きっとモシン・ナガンだったら大げさすぎるくらいノリノリでほめてやったことだろうし、スプリングフィールドだってニコニコ笑いながらしっかりいい言葉を掛けてやれたことだろう。
それに比べると、確かに、自分の言葉はちょっと物足りなかったかもしれない。
「もうじゃないでしょ……次に活かすんだから」
「そうですけれど~ でも、これで認めてくれますよね?」
「……何が?」
「何じゃないですよ、WAさん! これだけいい成績をとったんだから、もう後ろの訓練はしなくていいですよね!」
「……はあ?」
WAは一瞬自分の耳を疑った。まじまじとM14の顔を見つめてしまう。冗談にしては面白くない、と突き放しそうになってグッと言葉を飲み込む。
けれども、向こうはまったく真面目なようだった。表情は大胆不敵にニコニコ笑顔、本気で後衛に回らなくていいとでも思っているらしい。
「そんな訳ないでしょうが。いつそんな話になったわけ?」
「え? だって、これで、私が得意なのはこっちだって結果が出たじゃないですか」
「それが?」
「ええ? だから、後ろの狙撃はやらなくていいですよね?」
「はあ? どこをどうひっくり返したらそういう話になるの?」
「なんにもひっくり返してないですよ。普通に考えたらそうなるじゃないですか」
「普通って何? それとこれとは話が別でしょうが!」
「別じゃないですよ!」
M14は引き下がらない。それどころか、いつにもまして食いついてくる。
今回、トップの成績を上げていくらか得意になっているのかもしれなかった。確かに、結果は何よりも雄弁だ。遠距離の命中率が悪いM14は、無理をして後で使うより、前で使ったほうが良いと考えるのは普通のことかもしれない。性格を勘案しても、後ろでじっとタイミングを待って一撃を加えるより、前に出てドンドン倒すほうが好きなのだろうし、そのほうが性に合っているとも考えられる。
けれども、だからといってやらなくていいなんて言う結論にはならないはずだ。最低限やっておかなくてはいけないラインというものが確かにあるし、M14は、そこにはまだ全然たどり着けていない。今日の戦績だって、後ろから当てるというシーンはなかったから、その分は反映されていない。
そもそも、実践と演習は全然別のものだし、合同演習と個人訓練も全く別のものだ。部隊の中での動き方が良かったからと言って、個人の練習をサボっていいなんて話には絶対になるわけがない。
WAはそう考えていたから、M14に対してもその通りのことを伝えた。むしろ、昨日だって一昨日だって、あるいはその前からずっとこの話はしているのだ。
M14は、それでも全然引き下がろうとしなかった。はっきり結果を出したんだから、これでいいじゃないかと言い募る。
「今日の成績はすごいわよ。でもそれで終わりじゃないでしょ、M14」
「わかってますよ、WAさん。でも狙撃はもういいじゃないですか」
「良くない! やんなさい!」
「全然やらないわけじゃないですよ! でも追加の分は免除でいいですよね?」
「ダメに決まってるでしょ! ヘタクソなんだから、アンタ!」
「下手なのは事実ですけど、それより得意な方を伸ばしたほうが良いでしょう?」
「それはそれ! これはこれ!」
「何言ってるんですか?」
「何って何よ!?」
「だから、後ろでチマチマ狙うより、前に出たほうがたくさん倒せるじゃないですか」
「それがどうしたっていうのよ!」
「え? だってたくさん倒したほうが偉いですよね?」
「はあ?」
WAはじっとM14を見た。M14は頬に少しの朱みを差しながら、まくしたてるように先を続けた。
「後衛が大切なのもわかりますけど、私が前に出てたくさん倒したほうが皆のためになるじゃないですか!」
「何言ってんの、アンタ」
「だって、WAさんはともかくSVさんなんか結局10も倒してないんですし。私は30倒したから、3倍すごいってことになりますよね?」
「アンタねえ……!」
「だから、もう良いですよね?」
言い切る口調は強かった。その笑顔は自信で溢れている。
自信があるのは悪いことじゃない。得意不得意をしっかり理解するのも悪いことじゃない。得意なことを伸ばすことも大切だ。苦手なことにどこかで線を引いて、諦めたほうが良いことだってきっとある。
そんなことは、もちろんM14に言われなくたって、WAもわかっている。そのことははっきりと知っているけれど、だからといって、それを口実にして投げ出して良いわけじゃない。逃げ出して済まされるわけがない。
それに、だからといってなんでもかんでも言っていいということには絶対にならないはずだった。
「ちょっと、アンタ、それ本気で言ってるわけ?」
「本気ですよ! 冗談で言うわけないじゃないですか」
「だとしたらなおさら信じられない、冗談にしてもタチが悪いわ! アンタ、自分が何言ってるかわかってんの?」
「何って、後ろより前のほうが良いですよねって――」
「ふざけんじゃないわよ!」
WAはM14の言葉を遮って叱りつけた。M14は更に頬を膨らせて黙り込む。
「アンタ、何様? 前のほうが良いですって? そんなことあるわけないでしょうが! 同じよ、同じ!」
「WAさんはそうかも知れませんけど――」
「うるさいッ! 私だけじゃないでしょ! SVにも謝んなさい!」
「なんでですか?」
「なんでじゃないでしょ! 偉いだのすごいだの、そんなことのためにやってるわけじゃないの、私達は!」
「でもたくさん倒したほうが偉いですよね?」
「違うっつってんの! そんなこともわかんないの!?」
「何が違うんですか?」
「前にも後ろにも役割があるっつってんでしょ! バカにしてんの?」
「違いますよ。ただ私は――」
「うるさいッ!!」
WAは叫んで、踏み込んだ。
M14は逃げようともしない。ただ突っ立ったままじっとこちらを睨んでくる。頬を膨らせ朱く染め、恨みがましい視線をじっと注いでくる。
ムカムカと沸き立つ怒りが更に燃え上がった。横から、SVやG36たちの声がして手が伸びてくる。やめろと言われたけれど抑えられない。やりたくないと言うだけならまだ我慢もできたかもしれない。けれども、よりによってどっちがすごいの偉いだの、そんな理屈をこねてまで逃げようとするのは絶対に許せない。そんなことを真顔で言われても全く理解ができないし、正気でそんなことを考えているのだとしたら軽蔑すら覚える。
WAは、激情に任せてM14を突き飛ばしてしまった。解散になってからあたりで話をしていた人形たちも、騒ぎを外から見守っていた。皆が見ている真ん中で、WAが激昂して手を上げたので、トレーニングルームは大騒ぎになった。
結局、そのあとWAは捕まって司令室に連れて行かれ、事情を聞いた指揮官からも散々注意をされた。
ようやく解放されたのは、夕方もずいぶん暗くなってからだった。
WAは暗い部屋で目を覚ました。枕元の時計はもう10時近い。部屋に戻ってそのまま眠っていたのだ。
ゆっくり身体を起こすと昼間の出来事が思い起こされる。気分がグッと沈み込む。ここ1週間ほどの疲れも加わって、身体が重い。動きたくないと文句をいう手足を無理やり動かして、どうにかこうにかベッドから降りる。喉が渇いていた。
指揮官からも厳しく言われた通り、帰り道にG36からもそっと言われた通り、カッとなってしまった自分は悪い。それは悪い癖だ。どんなにムカついてイライラしたって、腹が立って仕方がなくたって、言ってはいけないこともやってはいけないこともある。時間が立って少し冷静になって、悪いことをしたとは思う。反省もしている。
ただ、それにしてもモヤモヤとやりきれないものがわだかまる。それは自分やSVのことを下に見られたからとか、意図しなかったとしてもけなされたとか、そういう単純な話ではけしてない。
もちろん、バカにされたら腹も立つ。けなされればイライラもするし、褒められれば喜びもする。成績が悪くてヘコむことはあるし、いい結果が出て嬉しくなることもある。嬉しくなることとヘコむこと、腹が立つことと喜ぶことはコインの裏表のようなものだ。いい結果を出して褒められたいと思うから努力もする。努力が足りないとわかっているから腹も立つしイライラもする。後悔だってせずにはいられない。
暗い部屋で上着を脱ごうとして、ふと、入り口、ドアの近くに小さな紙が落ちていることに気づく。戻ってきたときにはそんな物があった記憶がないから、寝ている間に誰かが投げ入れていったものだろう。着替えようとしていた手を止めてそろそろ近づくと、それは小さな封筒だった。手にとってひっくり返してみるけれど、差出人の名前も宛名も書いてない。不審に思いつつ、かといって危ないものを投げ込んでくるはずもない。無造作に開けて中を読むと、そこには見慣れたスプリングフィールドの文字が短く時間と場所を指示している。
時間は10時で、今ちょうど時計が指し示したところだった。場所は行きつけのカフェだ。キュッとお腹の当たりが痛くなる。
もちろんスプリングフィールドだって昼間の出来事は聞いて知っているに違いない。それをこうして呼び出しに来たということは、きっとあのことに関係があるだろう。まさか、全然関係ない世間話をするために呼び出してくるなどということがあるわけもない。
WAは呆然と時計を見つめた。
このまま放っておくということもできる。見なかったふりをして手紙はゴミ箱にでも突っ込んでしまい、何食わぬ顔で着替えて寝てしまうということもできるだろう。
けれども、そうしたところで何かが進展したり、変化したりするわけもない。
脱ぎかけていた上着を元の通りに整えて、手紙をポケットに入れ、WAは静かにドアを開けて廊下を急いだ。
目的地のカフェに行くと、閉店の看板が下げられている。午後10時を少し回ったところで、いつもなら、まだもう少し開いているはずの時間だ。
WAは恐る恐る中を覗き込んだ。静かな店内は薄暗い。その奥に人形が一人黙って座り、手元を見つめてうつむいている。
影になった表情はよくわからない。ただ、その後姿、切ない横顔はひと目でSVのものと分かった。
思いつめたように身じろぎもせず、カウンター席に座ってじっと手元を見つめているSVの姿に、またお腹が痛くなる。
あの時、昼間の騒動のときにもSVは隣にいた。すぐとなりでM14とWAのやりとりと聞いていたのだ。その中にはSVの名前も出てきた。SVだってもちろん思う所有あるだろう。この1週間、望んでではなかったにせよ、WAとM14と一緒に訓練をこなしてきたのだから、あのやり取りを間近に見て感じるところもあっただろう。
今日のSVはけして悪い成績じゃなかった。M14がすぐにやってきてしまったから声を掛けるタイミングがなかったけれど、本当ならきちんと一言くらいねぎらって褒めてもやりたかった。M14には、短くてもおめでとうの一言を掛けてやったのだから、SVにだってそれくらいの言葉はかけてあげたい。あまり口が上手じゃない自分だって、なにかしら伝えられることはある。そのことを伝えたいと思うのは自然なことだった。
それだけに、WAは、この扉を開けて中に入ることを躊躇してしまう。閉店になってもまだこうして中にいるということは、WAが呼び出されたこととは無関係ではないだろう。そのことが分かるだけにWAはためらってしまう。戸惑いを感じて、立ち止まってしまう。
こんな時、アイツだったらどうするだろう――あの憎んでも憎みきれない、金髪の人形、口先から生まれてきたようにべらべらと喋りかけてくるくせに、肝心なところではきちんと急所を抑えて去っていく、ニッコリ笑う青い瞳のアイツなら、一体どうやって入っていくだろう?
WAが差し出した手を戻し、軽く拳を握って見つめた時、ドアがカランと音を立て、ゆっくりと内側から開かれる。
ドキリとしながら顔をあげると、うっとり微笑む優しい表情のスプリングフィールドが、そこに立って出迎えていた。
「どうしたんですか、WAさん」
「あ…………」
「お待ちしてました。どうぞ、中へ」
「…………いいの?」
「ええ、もちろん。私がお呼びしたんですから」
「…………ごめんなさい」
「いいえ。さあ、立ち話もなんですから、どうぞ」
スプリングフィールドが少し身を引く。
暗い店内の奥で、SVが姿勢を変え、じっとこちらを見つめているのがわかる。
その表情に促され、WAは静かに1歩を踏み込んで、そろそろとその隣に腰を下ろした。
お茶をもらって一口飲む。暖かく、甘く、落ち着く味だった。
スプリングフィールドはカウンターの向こうで食器の片付けを進めている。何も言わず、例の穏やかなほほ笑みを浮かべたまま静かにお皿やグラスを洗っている。
SVはしばらくじっと黙っていた。こちらを見て、じっと黙ったまま言葉を探していた。
「WAさん」
呼びかけられて振り向く。SVは真剣一途な瞳で真っ直ぐにこちらを射止めてくる。
WAはマグカップをカウンターに戻すと、小さく頷いて先を促した。
「WAさん、今日はすみませんでした」
「……何のこと?」
「その…………いえ、私のことをかばってくれて」
「……かばったわけじゃないわよ」
「あはは……たぶん、そう言うと、思ってました」
「…………はい?」
「WAさんのことだから……きっとそうじゃないだろうとは」
「…………そうって?」
「でも、本当に嬉しかったんです。私のこと」
「……SV?」
WAが伺うように首を傾げると、SVは静かに首を振った。その横顔には、まだ少し言葉をためらうような戸惑いの色が見えないわけではない。
けれどもSVは、思い通りにならない言葉を必死で探しながら、真剣に、何かを伝えようと努力を続けているのだった。
「WAさん、それから、今週はすみませんでした」
「…………はあ」
「やっぱり……気にするなと言われても、どうしても気になっちゃって」
「……何が?」
「隣で……いえ、M14さんがあれだけすごい結果を出してると、私もやらなきゃいけないのかな、とか」
「…………できてたでしょ、アンタは」
「いえ、近距離のことです」
「はあ?」
WAは思わず聞き返した。SVは素面だ。
「前……うまく行かなくて……WAさんにも言われて、私には私の役目があるって、そう理解しているつもりなんですけれど、それでもやっぱり……」
「SV?」
「その……すぐ隣で、ドンドンいい結果を出している人がいると、気になっちゃって、そっちをやらなきゃいけないのかなとか、思っちゃうんです」
「………そう」
WAはうなずく。それ以外に、返せる反応がなかった。
まさかそんなことを考えているとは思わなかった。もちろん、真面目なSVのことだから、苦手は克服しなくちゃいけないとか、なんでもできるようになりたいとか、そういう事を考えていてもおかしくはない。
おかしくはないけれど、まさかそんなことを考えて調子を落としているなんて思いもしなかった。
そんなことを考えていると、SVは小さく、朗らかに微笑んだ。
「隣でガミガミ叱られているのを聞いてるのも、あんまり気分良くはないですけれども」
「…………アンタね……」
「あはは、すみません。ただ、今日WAさんの言うことを聞いていて、ちょっと気持ちが切り替わったのは本当なんです」
つぶやくように、そうこぼして、SVは自分のマグカップを持ち上げ、コーヒーを飲み干した。
WAも、つられて紅茶を飲む。
喉を潤すと、SVは上半身を振り向かせ、正面からこちらを見つめてくる。WAが向き直ると、そっと手を重ねて優しく握りしめてくる。
「いつも、ありがとうございます。WAさん」
「な、なによ、急に……」
「いいえ。一杯、まだ至らないところもある私ですけれど、色々なことを教えてくれて、本当にありがとうございます」
「べつに……そんな大層なこと、してないじゃない」
「そんなことありません! もちろん、射撃の、技術のことだけじゃなくて、ですよ」
「……どういうこと?」
「そのままですよ」
WAが聞き返すと、SVは何がおかしいのか、クスクスと笑った。
「WAさんのおかげで自信も取り戻せましたし、もっと頑張ろうっていう気持ちにもなれました。いくら感謝してもし足りないぐらい、本当に感謝してるんです」
「ああ……そう……」
「はい! だから……いえ、そのことだけ、どうしても伝えたくって」
「……それで?」
「え?」
「そのために、ここで待ってたわけ?」
「そうですよ?」
「……あっ、そ」
WAはそっと目をそらした。SVの真っ直ぐな瞳に見つめられると、少し顔が熱くなる。真剣に語りかけられると、胸も熱くなる。
柄にもないことをするからだ、と思った。モシン・ナガンに頼まれて、報酬のアイスクリームにつられていなかったら、こんな面倒事は引き受けなかっただろう。もし断っていたら、こんな風に悩んだり、考えたり、あるいは迷ったりすることもなかっただろう。きっと、SVたちとの出会い以上に大きななにかを、そんな物があるとも気づかないうちに失っていた、そんな気がしてくる。
あるいは、それはそんなに大きなことではないかもしれない。ただ身近な出来事が、たった今ちょうど一番自分を悩ませているから、だから、実際よりも大きな悩みに見えてしまっているだけなのかもしれないし、実際よりも大きな出来事、世界が全部ひっくり返ってしまうような大事だと思いこんでしまっているだけなのかもしれない。どこかで、冷静さを装う自分が囁いている。
けれども、こうしてSVと話をして、あるいは、それ以外にもカリーナやM14たちと交流することを通じて、自分の中にも何かが見つかりつつあるような気がする。まだ、それが何なのか、良いものなのか悪いものなのかもよくわからないけれど、皆からもらった色々なものが、何かの形になろうとしているような、そんな予感がある。
だからこそ、SVにそっと手を握られ、じいっと見つめられて、じわじわっと胸や、目や、鼻の奥が暖かくなってしまうのかもしれなかった。
SVは、それからお休みの挨拶をして去っていった。あとに残されたWAは、もう湯気も立たなくなったマグカップをじっと見つめながら時間を過ごしていた。
少しして、隣の席に手が伸びてくる。顔をあげると、カウンターの向こうに立つスプリングフィールドが手を伸ばして、SVが残していったマグカップを回収しようとしているところだった。
「ねえ、スプリングフィールド」
「はい。なんでしょう、WA2000さん」
呼びかけると、スプリングフィールドはマグカップを両手で持ったまま、ニッコリと微笑んでこちらを見守ってくる。
「アンタの差し金でしょ、さっきの」
「ええ?」
「アイツが……SVがあんなこと言ってくるなんて」
「違いますよ。SV-98さんがおっしゃっていたことは、全て彼女の本心だと思いますよ?」
「どこにその証拠があるっていうの?」
「それは彼女の心の中としか」
「はあ?」
「確かに、私はSVさんに頼まれてお手紙を書きました。けれども、あとのことは何も」
「……どういうこと?」
WAがじとっと睨みつけても、あちらはどこ吹く風といった様子だ。ただ変わらずにニコニコ微笑んだまま、ゆっくりと続きの言葉を紡いでゆく。
「最初、SVさんから、WAさんと話がしたいと相談されたんです」
「はあ……」
「ああ、今日のお昼のこと、カリーナさんからも聞きました。ごめんなさい、色々無理をさせてしまったみたいで」
「それは良いわよ、今は。それより――」
「ええ。SVさんが、今日のことでちゃんと謝っておきたいことがある、とおっしゃるので、それならということでこの場をお貸ししたんです」
「……で?」
「それだけですよ。SVさんが、直接行くのは気がひけるとおっしゃるので、代わりに私が呼びに行ったんです。WAさんは不在だったみたいですけれど」
「……たぶん、その間、眠ってたんだわ」
「そうなんですか? まあ、無理もありませんね……WAさん」
「な……なに?」
「今日のこと、M14ちゃんのことですけれど、本当にすみません。私からも謝ります」
「どうして?」
「元はといえば私が頼んだことですから。ちょっと強情なところがあるんです、あの娘は」
「それはいいわよ……私の言い方も悪かったわけだし」
「そう、ですか」
スプリングフィールドが一瞬驚いたように目を見開いて言葉を途切らせる。
WAは不審に思って身を乗り出した。
「何? 何か変なこと?」
「いえ……変というかなんというか……」
「なによ、はっきり言って。まどろっこしいのは嫌いよ」
「そうですね……WAさん、なんというか、少し、丸くなりましたね」
「はっ……はあっ?」
「あ、ごめんなさい、お返事が、その、角が取れたといいますか」
「どういうことよ! そんなに私はガミガミ怒ってたっていうの!?」
「違いますよ……ただ、驚いただけです」
「何によ!?」
「今の……M14ちゃんのこと」
スプリングフィールドが苦笑を浮かべる。思わず立ち上がっていたWAは、ドスンと椅子に腰を下ろしてマグカップを突き返した。
「ごちそうさまっ!」
「おかわり、ですか?」
「もういいわよ! 私も帰って休むから」
「そうですか」
「まったく……アイツが絡むとろくなことがないんだから……」
「誰のことですか?」
「決まってるでしょ、モシン・ナガンよ、モシン・ナガン!」
「はあ……」
スプリングフィールドが、受け取ったマグカップを洗いながらクスクス笑い出す。
WAはジロリと鋭い視線を送って立ち上がった。
「何よ、スプリングフィールド」
「いえいえ」
「言いたいことがあるなら――!」
「ああ、そうですね」
「んん?」
「確かに、モシン・ナガンさんのおかげかもしれませんね」
「おかげじゃないわよ、せいよ、せい!」
「うふふ……じゃあ、モシン・ナガンさんのせいということにしておきますわ」
「まったく……! どいつもこいつも……!」
「でも、WAさん?」
「なによっ!」
「嫌いじゃあ、ないんですね?」
念を押すかのように、スプリングフィールドがニッコリと満面の笑みを浮かべながら尋ねてくる。
WAは言葉に詰まって、つばを飲み込んでから一つうなずいた。ここにいないモシン・ナガンの顔を思い出しながら、渋々うなずいてやった。
「……ええ、そうよ。嫌いじゃ……ないわよ」
「そうですか……ふふふ、それなら」
「それなら?」
「良かったです。安心しました」
「…………アンタも、大概よね、スプリングフィールド」
「そうですか?」
「そうよ……いいわ、おやすみなさい」
「ええ、おやすみなさい、WAさん。良い夢を」
にこやかな笑顔に見送られて、WAはカフェを後にした。
言いたいことを言い出せば、おそらくキリがない。けれども、今はそんなことをあれこれと難癖つけたり、非難したりするような気分じゃなかった。単純に疲れているというのもあるし、せっかくSVに暖めてもらったこの気持ちを、イライラやムカムカで塗り替えてしまうのが悔しかったからだ。
WAはそのまま部屋に戻り、着替えて横になった。
その時も、暗い天井の向こうに、ウィンクをよこしてくる金髪碧眼の表情がチラッと見えたような気がして、ギュッと目をつむった。
あの騒ぎから2日が経った。
指揮官の判断で、結局M14は別の部隊に預けられていた。
WAは、またSVと二人きりになって訓練をこなしていた。
2日目の昼、G36が呼びに来た。
「明日、鉄血の工場群を一つ制圧することになりました」
「そうなんですか、G36さん?」
「ええ、SVさん。準備をお願いします」
「はい……といっても、まず作戦計画を見てみないことには……」
「おそらく、SVさんはよくご存知の場所だと思われます」
「え?」
「北側の地区です。川を二つ越えたところの」
「ああ、あの中腹にある廃工場ですか?」
「その通り!」
「それなら――」
二人が細々した会話を交わしているのを後ろから眺めつつ、WAはしばらく黙って歩いていた。
迎えに来た時から今に至るまで、G36とWAとの間にはほとんど会話らしい会話がない。SVの方といえば、作戦の地域がよく研究した場所だったからだろう、すっかり頭を切り替えて、今はこれから始まる作戦のことにしか注意が行っていない様子だった。
この2日間、それでもカリーナに頼んでM14のデータを見るくらいのことはしていた。スプリングフィールドにはしばらく冷却期間を置いたほうが良いとも言われた。重ねてごめんなさいと謝罪もされた。けれども、M14のことを忘れた時はなかった。途中で、形としてはどうであれ、投げ出すような始末になってしまったのだから。
司令室に入る手前で、G36が急に立ち止まった。少しうつむき加減に歩いていたWAは、うっかりその背中に追突しそうになり、慌てて身を引いた。
「WA2000、ちゃんと前を見て歩かないと、危ないわよ?」
「あ……アンタが急に立ち止まるからでしょ」
「あら、ごめんなさい。WAのことだから、気づかないなんて思わなかったわ」
G36は、笑う素振りも見せず、本心だか冗談だかわからない言葉をかけてくる。
WAは文句の一言も言ってやりたい思いに駆られたが、グッと飲み込み我慢する。顎でドアを開けるよう促しても、G36は、ドアノブに手をかけたまま黙ってこちらを見つめている。
「……なに? G36?」
「ねえ、WA?」
「……なによ……」
「この間、お菓子の好きな子たちに頼まれて作り方を教えてあげたのよ」
「はあ?」
「ココアを混ぜたスポンジに、クリームを嫌になるくらい塗って。ブランデーとお砂糖で甘く煮たサクランボを挟むのね。それから、またクリームを塗って。最後に削ったチョコレートで飾り付け」
WAは言葉に詰まって、まじまじとG36を見た。
G36はいつも通りの冷めた表情で肩をすくめてみせる。
「ちょっとしたクイズよ」
「……キルシュトルテ?」
「Genau! ではもう一つ。トルテを作る時に一番気をつけないといけないことは何でしょう?」
「……焼き加減?」
「いいえ。もっと簡単なことよ」
「……分量?」
「おしいわね」
「……作りすぎないこと……とか……」
「いいえ……SVさんは、何だと思われますか?」
「ええっ? うーんと……クリームの量、とか?」
「少し違いますね」
G36は、またWAを振り返る。コトリとも表情を変えない。声音も変わらない。G36のこういうところが、WAは苦手だった。
「いい、WA? お菓子作りでいちばん大切なことは、お砂糖とお塩を間違えないことよ」
「…………はあ?」
「これを間違えると、材料が全部無駄になるわ。誰も食べないもの。とびっきり塩辛いトルテが好きなら別よ?」
「……で?」
「お砂糖とお塩を間違えると、楽しいティータイムも台無し」
「はあ?」
「それだけよ」
「ちょ、ちょっと!」
WAが重ねて尋ねるのもなんのその、G36は向こうを向いて、何も言わずに司令室のドアを開けた。
室内には、もう既に呼び出されたメンツがぞろりと揃っていた。
翌日、作戦が始まる。
前線までの移動は、特に何の支障もなかった。
前衛にはG36たち、第2陣にはM14がいる。WAとSVは後衛を任されて、PPKと一緒に前線の様子をうかがっている。
くしくも、あの時の合同演習と同じ配置になっていた。
一番の違いがあるとしたら、相手が鉄血であるということだ。実際に弾丸に当たって倒れれば破壊されてしまう。
地形に詳しいSVが事前に予想を立てていた通り、敵はあまり視界に入ってこなかった。合同演習のときよりもずっと静かな時間が流れている。
SVは、G36に出されたなぞなぞのことを時々考えているらしく、なにかブツブツと独り言を言っている。時々聞こえるその内容は、大概お菓子作りに関係したことだった。
「ねえ、WA?」
「なによ、PPK」
「今日はずいぶん静かだと思わない?」
「そりゃそうでしょ……それだけ前がよく働いてるってことじゃない」
「そう。こんな夜は美味しいコーヒーが飲みたくなるわね?」
「…………あっそ」
「あら、コーヒーはお嫌いかしら?」
「…………あれば飲むわよ、あれば」
「そう。あたくしは好きよ。あの天使のような純粋な黒さを見ていると、今日みたいな素敵な夜を思い出すじゃない?」
「…………あっそ……」
今日のPPKはずいぶん機嫌がいいようだった。尋ねもしないうちからあれこれと話を振ってくる。とはいえ、それはほとんど独り言のようなもので、とうとうと語って時間を潰しているという具合に過ぎなかった。
「WA、あなた、少しは笑えるようになったかしら?」
「……全然ならないわよ」
「そうね。そのほうが良いと思うわ。似合わないもの」
「……はあ」
「あたくしも笑顔はあまり好きじゃないの。もっと真剣な、圧倒的な恐怖を目の前にした時のほうが、表情がよく分かると思わない?」
「……悪趣味ね」
「あら、褒め言葉かしら?」
「……褒めてないわよ」
「うふふ……WA、相変わらず素直じゃないのね」
「……アンタこそ相変わらず意味がわかんないわ……」
低い声で返事をしながら、WAはじっと前線を見つめていた。
前半戦の動きは悪くなかった。廃工場の跡地に部隊が入っていくところまでは、何の支障もなくスイスイと進んでいる。
敷地内に入ってから、やや風向きが変わった様子だ。右側から侵入したG36たちが大勢のロボットに囲まれて、やや苦戦を強いられている。
一方で、左から入っていった第2部隊は抵抗らしい抵抗を受けることもなくグイグイと進んでいる。
「……大丈夫かしら……」
「何のことかしら、WA?」
「PPK、第2部隊の話よ」
「あら、G36じゃなくって?」
「あっちは何があっても大丈夫でしょ、G36がいるんだから」
「そう……」
PPKは口をつぐみ、ニヤニヤと笑っている。
WAはふと気がついて目を伏せた。
「いいわね、WA」
「…………何がよ……」
「あなた、だんだん似てきたわね?」
「…………はあ?」
「あら、あたくしは喜んでいるのよ?」
「……全然安心できないわ……」
「あら、悲しいわ」
PPKは目元を抑え口元を隠しながらクスクスと笑っている。
WAはムッとしてしばらく黙り込んでいた。
PPKがからかいたくなる理由に思い当たらないWAではない。その理由をこちらから提供してしまっているのだから、なおさらだろう。
もちろん、考えていたのはM14のことだ。たった3日間とはいっても、顔を見なくなってから長い時間が経過したような錯覚にとらわれる。
いや、むしろその前にあれだけ、たとえうまく行っていなかったとしても、濃密なコミュニケーションを取る期間があったのだ。その状況から介抱された反動があるのかもしれない。
今、前から送られてくるやり取りを聞いているだけでも、M14の方はかなり順調に進んでいるようだ。あるいは、計画より素早く奥まで進んでいるかもしれない。
それに比べると、右側のG36部隊は進みが遅すぎる。中央第2区画まで進んだところで足踏み状態が続いている。工場の建築物自体が廃棄されてから時間が立っていて、予想以上に内部の崩壊が激しかったことだけでなく、もともとここに陣取っていた鉄血の連中があれこれと手を加えてバリケードを設置していたらしい。
そういった出来事が、G36部隊の進行を明らかに送らせているのだが、左側を行く第2部隊の方はむしろ速度を上げて攻略を進めている。G36の思惑としては、むしろ早く進めるほうが後ろまで回り込んでしまって、北側の第4区画あたりから右へ移動し、挟み撃ちにしてしまいたいという考えのようだった。
「ねえ、PPK?」
「あら、珍しいじゃない、WA」
WAが呼びかけると、PPKはニヤニヤと質の悪い笑みを浮かべている。
WAは首を振り、先を続ける。
「そういうのはいいから……アンタが籠城するとしたら、どうする?」
「あたくしが?」
「そう。バリケードとか、罠とか仕掛ける?」
WAが真剣に尋ねると、PPKはニヤニヤ笑いを飲み込み、そっと目を細めて考え始める。
「そう、ね……相手の人数にもよるでしょうけれど……何かしら、おもてなしは用意するでしょう?」
「たとえば、どんな?」
「簡単なのだったら道を塞いで上から物を落とす、なんてどう?」
「いいアイデアだわ。上から射撃するのも悪くないわね」
「あとは……壁を作って相手の真ん中に落とすのもいいわね」
「どういうこと?」
「部隊を半分にしてあげるのよ。内側をたっぷり責め抜いて、いい声をお味方にも聞かせてあげるわ」
「ふうん……分断するのは悪くない、か……他は?」
「隠れる場所を作って置いて、死角から攻撃するわ。これ以上の恐怖はないでしょう?」
「シンプルね」
「シンプル・イズ・ベストでしょう?」
PPKはクツクツと喉を鳴らして笑った。
WAは静かに言葉を重ねる。
「何も用意をしないとしたら、どんな時?」
「出来るだけ早く脱出する時ね。仕掛けを用意する時間が惜しいじゃない?」
「そう……あとは、用意する時間もなく攻め込まれた時?」
「そうね。悔しいけれど」
「そう…………」
WAはじっと考え込む。PPKもしばらく黙考する。
すると、じっと二人の様子をうかがっていたSVが、その向こうで口を開く。
「油断させる、という可能性もありえませんか?」
「SV、でも、諸刃の剣でしょ、それは」
「ええ。そうですね。攻め込ませちゃうわけですし」
「もし油断させるとしたら、それこそ罠を張っておいて、そこまで誘導する時くらいでしょ」
「ううん……中へ行くほどなにか罠がある、とか……?」
「遊園地じゃないんだから。そんなことするなら外で迎え撃つわよ。そのほうが置くまで逃げ込めるでしょ」
「水際作戦と縦深防御ですね」
「うん……」
「やっぱり、どこかに大きな罠があるんでしょか?」
「でも、予めドローンで調査はしてあったわけでしょう?」
「ええ。ただ、それは上空からのものです。中まで入って検査したわけでは」
「そうなの?」
「ええ。だって、近づくと撃ち落とされちゃいますし」
SVがケロリと言う。
指摘されれば当然だ。この工場は長いこと鉄血が拠点として使っていたのだ。だんだんグリフィンが押してきて、ようやくここを制圧しようという段階にまで進んだけれど、ほんの昨日まで中には鉄血兵がうようよしていた。そんなところにグリフィンのドローンがのこのこと入っていこうとしたって、たちまち撃ち落とされてしまう。だから、上空からこっそりと撮影するくらいのことしかできないのは当たり前の話だった。
とはいえ、そうした偵察だけでなく、残されている設計図や配置図のデータも元にして作戦計画は立てられている。多少のイレギュラーは織り込み済みだし、中でも罠や所外ブツには気をつけながら進んでいることだろう。
だとしたら、WAのこうした思考はすべて杞憂に過ぎないのかもしれない。G36の側にだけたまたま敵が集中していたとか、そちら側のバリケードしか設置が間に合わなかったとか、案外そういう理由があるのかもしれない。なにも、鉄血の考えていることが全部わかるわけではないのだから。
作戦は順調に進んでいる、少なくともここまでのところ、なにか問題が起きたということはない。もうしばらく合流までには時間が掛かるとしても、きっと無事に追いついてくれるだろう。
WAは強いてそう考えることで、何か頭をもたげそうになる不安を押し止める。暗い夜に押しつぶされないように首を振り、小さく息を吐いたのだった。
M14は後ろを振り返った。真っ暗闇の向こうから、何かを引きずるような不気味な音が聞こえてくる。
窓という窓は閉ざされている。仮に開いていたところで、今夜は月明かりが遠い。果たしてどれほど向こうが見通せるものかわからない。
「M14さんっ……早く!」
呼ばれて振り向くと、前を行くMP5の小さな手がこちらに差し出されている。それを震える手で握りしめ、引っ張られるようについていく。
P99たちは無事だろうかなどと考える暇もない。暗闇を手探りで駆け抜ける。先程発砲炎の僅かな光が照らし出した機械兵の列が脳裏にこびりついて離れない。道を目いっぱいに塞ぐ戦列の向こうに消えていったP99たちが無事であることを、今は祈るしかない。
このまま黙ってとどまっていては、また囲まれてしまう。弾丸には限度がある。一旦さっきの敵がしのげたとしても、その次がどうなるかはわからない。仮に打ち尽くした状態で遭遇戦にでもなれば、引き金を引いても何も応えない、無意味な重りと化した銃をただ重くぶら下げたまま、良いように打たれるだけのことだ。
今は、ただ地図を頼りに前へ進むしかない。味方の部隊がいるはずの区画まで、後少しのところに来ていたはずだった。
暗闇を進んでいたMP5が立ち止まる。
M14は、衝突を避けようと足を止め、つんのめって転んでしまう。
壁にぶつけた額をこすりながらMP5を見る。壁をそっとなでて確認しながら、押し殺した声で話しかけてくる。
「すみません、M14さんっ! 大丈夫でしたか?」
「うう……一応……それより、次は? どっちにいくの?」
「それが……」
「えっ?」
「このドア、開かないんです……っ」
「ええっ!?」
「しーっ! 静かに、見つかっちゃいますよっ!」
「あっ……」
M14は両手で口を抑える。キョロキョロとあたりを見回す。相変わらず、この当たりは暗いままだ。
暗視装置を頼みにドアから壁、壁から通路をしらみつぶしに調べていたMP5が戻ってきて、M14の側に膝をつく。
その表情は少し引きつっているようにも見える。
「MP5……?」
「すいません、M14さん……ちょっと……ここから先にはいけないみたいです」
「そ、そんなあ……」
「引き返しましょう。今ならまだ一つ隣の区画に逃げ込めます」
「で、でも……っ」
「M14さん?」
「さっきの……さっきのが……!」
「音はまだ遠いですよ! 捕まって下さい、早くっ!」
MP5に急かされる。立ち上がったが、足が震えてしまう。
前面を装甲した機械兵は大きく、威圧的だった。それが一列に並んで目いっぱいに通路を塞ぎながら迫ってきたのだ。やっといくつか倒してくぐり抜けたけれど、またその奥にいくらでも湧いていた。逆に、M14は前に通り抜けてしまったところで退路を断たれる形になった。別れたP99たちがその後どうなったのかを確認する暇もなかった。一応、まだネットワーク上では存在を確認できるけれど、詳しい現状まではわからない。
近づいてくる音が、暗闇の向こうからじわじわとM14を押しつぶそうと迫りくる。MP5に抱き起こされるような格好で、やっと体を支えてもらいながら、よろよろと一つ前の通路に出る。
一瞬遠ざかった音が近い。ズン、ズン……としびれるように震える音が聞こえ、喉の奥がギュッと絞り上げられたように痛くなる。喉が渇く、口が渇く、痛みがジンジンと広がっていく。
「M14さんっ! しっかりしてください!」
「うう……」
「まだ大丈夫ですっ! 行きますよ、次は右です!」
「うっ……うっ………」
「落ち着いて下さいっ! M14さん!」
MP5の声さえ遠くなったような気がする。
あんな奴らが出てくるなんて聞いていなかった。初めの内に出てきた敵はもっと簡単な奴らだった。打てば当たったし、当たれば倒れた。避けられることはあっても、すぐに次の弾を打って当てれば、すぐに倒すことができた。
あの機械兵は違う。うまく当てなくては倒れない。1発2発、当てるのは簡単でも倒れない。当てても倒れない敵に道を塞がれて、M14は焦った。焦ってとにかく安全なところへ、すぐ目の前に見えた空間へ急ごうと走った。
その後ろについてきてくれたのはMP5だけだった。他のメンバーの顔が見えなくなってから久しい。彼らは真暗闇の中に飲み込まれてしまった。
声も聞こえない。MP5のささやき声と、荒い息の音、ドキンドキンと痛いほど拍動するモジュールの音、ズン……と響き渡る足音、キーンと甲高い耳鳴りが始まる。眼の前がぼやけて、ぼうっとしてくる。
もうMP5の声に答える元気もなかった。暗闇がじんわりと滲んできてしまう。
M14は、なにかに躓いてズルズルっとその場に倒れた。足元になにかの部品がゴロゴロ転がっている。手をつき、膝をつく。
力の抜けた足はこれ以上言うことを聞いてくれそうになかった。
銃が重い。支えられない。
一面の暗闇、低い振動、痛み、怖い、怖かった、暗闇が、押し迫る夜が怖かった。ポタポタと熱いものがこぼれて手にかかる。握りしめた手が震える。MP5の励ましに、答えようとすることもできない。喉が震え、言葉にならない。口を開けても音にならない。ただ怖い。恐怖に、一面の恐怖に身体を包まれて、もう指一本動かせそうにない。
「M14さんっ! 後少しです! 立って下さい!」
「うぅ……うっ………」
「次の区画まで行きましょう! そこで……ッ!」
MP5が立ち上がる。M14はぼうっとその動きを追った。
MP5がゴクリとつばを飲む。表情はこわばっている。
その銃が水平に構えられる。こちらを支えてくれていた手が離れていく。M14はバランスを崩してゆっくりと床に崩れる。
寝転がり、見えたものはあいつらだ。じりじりと、けして速くない速度で迫ってくるあいつらが銃口をこちらに向けている。
「M14さん……ごめんなさい……私が……道を間違えたから……」
MP5の声が沈む。その背中にかばわれて、前が見えなくなる。
炎が散り、銃声が聞こえる。MP5が放った弾丸はまっすぐに敵へと吸い込まれ、その分厚い装甲に弾かれてあらぬ方へと飛んでいく。
M14は銃を構えようと思った。銃を構えなければならないと思った。手に力を入れて、気力を振り絞って構え、トリガーを引かなくてはいけないと思った。
敵の移動が止まる。一つ向こうの部屋から、ピタリと狙いを定めた銃口の色が変わっていく。ぼうっと浮かび上がっていた水色が徐々に鮮烈な黄色へと変わっていく。
視線を吸い込まれる。クラクラとめまいがする。何も見えない、闇から光へ、眩しい光がそこへ集まっていく――
「伏せてっ!」
鋭い声が闇と光の間にねじ込まれる。
MP5がこちらを向いて、M14をぎゅっと抱きしめ地面に押し付けてくる。
M14は、一瞬何が起きたのかわからなかった。大きな爆発音が聞こえ、一面をまばゆい閃光が塗り替える。
撃たれたら、こんなふうになるのかな、とありもしない思いが脳裏をよぎる。
「……1……! ……M…………M14!!!」
耳元から突然大きな声で怒鳴られる。M14はパッと目を開けた。
開けた視野の真ん中、すぐ目の前で焦ったような表情を浮かべていたWAがふっと笑った。
「よし! 起きたわね? 立ちなさい! 脱出するわ!」
「え……WAさん……?」
「早く! 今がチャンスよ!」
「私……さっきまで工場にいて……?」
「バカ! 今、工場にいるの!」
「えっ?」
「寝ぼけてないで、早く立て! ……MP5!!」
「はいっ、WAさんっ!」
「コイツ支えてて!」
「わかりましたっ!」
WAがMP5と位置を入れ替え、こちらに背を向けて銃を構える。
ドン、とくぐもった音が部屋を震わせる。まっすぐに飛び出した弾丸は正確に敵を撃ち抜く。動きの止まった敵を必要なだけ撃ち抜き、少し歯抜けができたところでWAがさっと身を翻す。
「MP5、こっち! 逃げるわよ!」
「WAさんっ!」
「ソイツを離すんじゃないわよ! あとは後ろに任せて、今は脱出!」
「は、はいっ ……M14さんっ、捕まって!」
右腕をMP5に抱えあげられる。M14は抱き起こされ、また引きずられるようにして走り出す。
「なっ……なにが……?」
「助けが来たんです!」
「え?」
「もうしばらく時間があります。でも、そのうちまた追手がきます! 逃げましょう!」
「ええ……」
「あと二区画です! そこにG36さんたちがいます!」
「う……?」
「走って!」
引っ張られるままに走り続ける。装甲兵の耳障りな移動音が、WA、MP5、そして自分、三人の足音でかき消されていく。
先頭のWAが、こちらに背を向けて走りながらブツブツと文句を言っている。
「まったく! こんなはずじゃなかったのに!」
「WAさんっ、すみません!」
「アンタもアンタよ、MP5! どうしてあんな簡単な道を間違えられるわけ!?」
「うっ……その、間取りを一つ勘違いしてしまって……」
「まったく! 何のための暗視装置だと思ってんの! しっかりしなさい!」
「す、すみませんっ!」
「それに、M14もM14でしょうが!」
急に名前を呼ばれてビクッと肩が震える。
WAは走る速度を緩めず、肩越しに一瞬だけチラリとこちらを流し見た。
「アンタ、ほんっとうに何も学んでないじゃない!」
「えっ……?」
「数撃ちゃ当たる、なんてのが通用するのは初級までなんだから!」
「う……?」
「前に出るだけが能じゃないの! もっと周りを見なさい!」
「は……?」
「帰ったら一からやり直し! 覚えときなさい!」
「は、はい……!」
かろうじて返事をする。走る足を緩める暇は、今はない。
どれくらい走っただろう、100メートル、あるいは200メートル、まったく距離の感覚がなかった。
WAが大急ぎで隔壁を開け、次の区画に進むと、向こうからバタバタと近づいてくる足音が聞こえる。
「G36! 待たせたわね!」
「WA、ありがとう、助かったわ」
「ふん、本番はこの後よ! 頼んだから!」
「ええ、任せて。大切な私達の新人にこの仕打ち……容赦は、できないわね!」
すれ違いざま、G36は、険しい表情を崩さずにこちらをちらっと眺めていった。その後に、MG3やG3、PSG-1たちが続く。
「MP5!」
「はい! WAさん!」
「次の区画で、小休止!」
「はい! ……M14さん! 後ちょっとです」
「う、うん……」
もう一つの隔壁は大きく開け放されていた。おそらく、少し前までここで銃撃戦が繰り広げられていたのだろう。生々しい弾痕もあちこちに見られる。
その場所でWAは足を止め、くるりと振り返る。
「MP5、ここまでくれば大丈夫よ」
「WAさん、でも、ここはまだ……」
「いいから。ちょっと疲れたわ……息を整えましょ。M14も――」
「WAさんっ!」
安心の表情を浮かべて歩み寄ってくるWAの後ろ、遠い所に敵の姿が見える。いち早く発見したMP5が大声を上げながら、銃を構える。向こうも狙いをつけている――
どこか遠くから、銃声が聞こえる。
MP5が構えた銃は、結局火を吹かない。
けれども、その先にいた敵兵は力を失い、ゆっくりと地面に倒れ伏す。
「――ね、MP5?」
「WAさん……?」
「ここはもうSVの射程圏内よ。だから大丈夫。それに、G36たちが丁寧に掃除をしておいてくれたから、ね」
WAは小さく笑う。MP5は銃をおろして、大きく息をついた。汗でいっぱいのその面にも、ようやく笑顔が戻ってきたようだった。
「私達、助かったんですね! WAさん!」
「そうよ……まったく、余計な手間かけさせて!」
「すみませんっ」
「次は覚えておきなさい」
「はいっ……」
「M14も」
WAがこちらを向く。
M14は呆然と立ち尽くしていた。
「G36からも言われてたのに、前に出すぎよ、アンタ!」
「あ……」
「後ろに下がるってことを覚えなさい! あんな奥まで勝手に進んで、もうちょっと遅かったら今頃とっくに死んでたわよ!」
「う……」
すぐ胸元から矢継ぎ早に責め立てられ、M14はブルッと震えた。
あの時の恐怖が生々しく蘇る。結局、何が起こったのかはまだわからない。ここがグリフィンの宿舎じゃないことははっきりしているし、あの悪夢のような逃避行の記憶も生々しい。
一通り文句をつけ終わったWAが、息を整えながら、じっとこちらを睨みつけ、ぼそっと言葉を付け足した。
「でも、よかったわ。ひとまず」
「え……?」
WAの表情が変わる。あるいは、それはM14が初めて見たものかもしれない。
ぎこちなく、それでも確かに、安心と安堵の入り混じった笑顔を浮かべているのだ。
「これで、帰れるわ」
「うう……」
「戻ったら、SVにきちんとお礼しなさいよ。アンタのこと、守って、心配してくれたんだから」
「Wっ……WAさんっ……」
「ちょ、ちょっと、M14?」
色々なことを言おうと思った。お礼や謝罪や、いくらでもかけるべき言葉があるはずだった。
けれども、そのどれも口からは出ていかなかった。
そのかわり、さっきの暗闇の中に置いてきた涙が、さっきとは違う温度と湿度をまとってポロポロと溢れていく。
WAが慌てている。MP5が横から声をかけてくれる。
それらが全て温かい気持ちの中に飲み込まれていくようだった。
M14は、その場に泣き崩れる。大声を上げて、ワンワンと泣き始めてしまったのだった。
PPKとSVとWAが立てた推測は、当たっていたとも言えるし外れていたとも言える。
正解は、どれか一つということでもなく、いろんなものがちょっとずつ混じっていた。
そこに、M14がタイミング悪く前に出てMP5と一緒に敵の集団に飲み込まれてしまったこと、左側の第2部隊が連戦続きで弾薬の補給が追いつかなくなったこと、MP5が一つ曲がる道を間違えたことなど、色んな要素が重なって分断されてしまったのだった。
基地に帰ってから、WAはまたしばらくSVと一緒にトレーニングルームに出かけて、日課となった訓練をこなしていた。
SVの調子は上がったり下がったりを繰り返している。どうしたらいいだろうと考えながら今日のメニューを話し合っているところに、入り口から元気な挨拶が聞こえてくる。
「よろしくお願いします!」
訓練室の入り口から元気な声が聞こえる。
SVの表情にサッと暗い影が差す。
WAが振り返ると、向こうから、黒いリボンで髪を結い、元気なツーサイドアップを揺らしてご機嫌に、自信満々に胸を張りながらひょこひょこと歩いてくるM14と目があった。
テクテクと近づいてきたM14は、すぐそこまで来て立ち止まると、キラキラした瞳を二人に向けてくる。
「おはようございます! WAさん、SVさん!」
「あー……おはよう、M14」
「おはようございます、M14さん」
「今日も一日、よろしくお願いしますね!」
「……朝から元気ね……」
「はい、WAさん! 今日は絶対、全部当ててみせます!」
「そう……じゃ、SV、頼んだわ」
「えっ? WAさん! ちょっと!!」
キラキラと目を輝かせるM14を託してその場を去ろうとするWAの腕を、SVがガッチリと抱きしめる。その表情は青くもあり白くもある。必死の形相をしている。
「冗談ですよね、WAさん!」
「冗談なんて言うわけ無いでしょ、SV。私はいつだって真面目よ」
「やめて下さい! 二人で! せめて二人で!!」
「嫌よ! 私はもう十分面倒見たでしょ!」
「そんな! あの時の言葉は嘘だったんですか!」
「はあ? あの時?」
「私のこと見捨てないって、そう言ってくれたじゃないですか!?」
「そんなこと言ってないでしょ!」
「WAさぁん……!!」
「さあ、早く訓練、しましょうよう!」
「うわっ、M14、危ないっ!」
M14が元気にこちらへ抱きついてくる。二人はその勢いを受け止めきれずに倒れ込んでしまう。
あの後、散々泣いていたM14は、基地に戻ってSVに会い、また泣いた。それ以来すっかり気持ちが変わったとでもいうのかなんなのか、とにかくこちらの二人が言っていることを一つも間違えずに実行しようとするようになった。
初めはそれでも突っかかってこなくなり、よかったぐらいに思っていたWAだったが、やがて真実を悟って目が回りそうになる。
寝ても覚めても、M14がそこにいるようになったのだ。
幸い、M14はSVのことも気に入ったらしく、SVの後ろも追いかけている。
ただ、SVがWAの後ろを追いかけたがるので、結局三人はいつも一緒にいる、というような状態になってしまったのだった。